ネット検索をしてみると、絵画の基本に『画家は自分が描きたいと思ったものを描いてこそ初めて鑑る人を感動させられる』というフレーズがあります。聞こえは良いのですが、今の時代を見るにそれは逆だと思います。社会と画家個人とが同調したときに受け入れられるので好き勝手に描く画家が常に受け入れられるものでもありません。『画家は自分が描きたいと思ったものを描く』と『初めて鑑る人を感動させられる』とは別の次元で因果関係のないものです。

このフレーズは画家に向かって、「社会が受け入れないのは自分が描きたいものを描ききっていないからだ」と言っているように見えます。もしもそれが正しいなら主客逆転です。「画家になりたければ皆が見たいと思っているものを自分も見たいと思わなければいけない」という思想改造の言葉に聞こえるのです。自分の世界は社会の要請で決まるものではありません。価値が無いと言われてもやり遂げるのが自分の世界の成り立ちで、それがどの時代のどのような場で認められるのかしれたものではありません。実際、同時代の人には認められず、後の時代になって認められたと語られる有名画家が多すぎます。もちろんそれでも見落とされた何十倍もの無名画家がいることでしょう。それは現代の神話です。

画家が感動したから人を感動させられると言うのは画家を本質はとても普通の人だと思っているからです。本当のところは、画家は自由に描き、社会は自由に作品を選択するのが正しいのです。まともな仕事もせずに、絵を描いていられる神経は普通ではありませんから、その一つをとってみても画家は普通の人ではありません。




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by カネダオサム


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