いつも裸を描いているのですが、作品にするとなると時代の裸忌避の圧力が気になり出します。現代は自由で人間性が発展して開放されていると宣伝され、信じ込まされていますが、『裸』に関してはルネッサンス以前の中世のような感じがします。行政やメディアの上で『裸』即『猥褻』と結びつけられているからです。性犯罪を防止する役目と性的な魅力を売り物にするどちらにとっても裸が猥褻であることが都合が良いのです。『裸』が猥褻だというのは性行為を連想させるからだと言うのでしょうが、オリンピックの選手の競技姿を見ても連想する人は連想します。前回のオリンピックでもドイツの女子体操チームは足首まで肌を覆うユニタードを着て出場し抗議の意志を示しました。しかし、たとえ髪長く分厚いコートを着た後ろ姿にでも連想する人は連想するでしょう。たぶんドイツではそのようなファンが多いということなのかもしれません。スポーツ選手が全身で競技をしている姿は生き活きとして活力と生命感を与えてくれます。その活力と生命感を性行為と結びつけるなら妄想としか言いようがありません。人間自体が性的な存在だと言ってしまえば良いのでしょうが、社会的な規制を信じて、生命的な形態に美しさを感じなくなったらヒューマニズムも怪しくなってしまいます。





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by カネダオサム


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